ここはディルックの部屋だが、ソファーの肘置きから突き出てゆらゆら揺れるブーツは当然ディルックのものではない。扉を閉じて近寄りながら、一歩ごとにディルックの眉間は皺をきつくする。
「まだ昼間だぞ。人の部屋で何をしている」
「よお旦那。お早いお戻りだな」
だらしなくソファーに寝そべって脚をはみ出させるこの男がモンド西風騎士団の騎兵隊長なのだから、世も末だ。脱いだコートをにやつく顔面目がけて投げ捨て、ディルックは休憩のために戻ってきた部屋で新たな疲労を負うはめになった不運に顔を顰めた。
いてえ、とひと声鳴いてからようやく腹筋を使い起きたガイアを、執務机に寄りかかりながら睨み据える。
「いったいなんの用だ。騎士団ほどではないが、僕も多忙なんだが」
「そうへそを曲げるなよ。俺だって無理に都合をつけて来てやったんだぞ? ちょっとおまえに相談があってな」
「相談?」
ガイアはにこりと親しげに笑ってソファーの背もたれへ肘を置いた。
「アデリンの誕生日プレゼント、今年はどうする?」
ディルックは顰め面のまま鼻から息を抜く。
数歩の距離を戻り、ガイアが起き上がったことで生まれたソファーの空隙へ体を捻じこんだ。
アデリンはラグヴィンド家のメイド長だ。幼いころからこまごまと世話をしてもらっているディルックとガイアにとって、この一件はあらゆる使命や務めよりも優先される。
「君の案は」
「去年贈ったアクセサリーは、結局恐縮されて使ってもらえなかっただろう? いっそ消え物はどうだ?」
「僕が去年そう言ったとき、君は反対していたな」
「ディルック。俺は今年の話をしているんだぜ」
露骨に呆れた声音を作るガイアの背に肘を入れて黙らせる。脚をばたつかせて暴れるので、狭いソファーで密着しているディルックまで振動が伝わってきて煩わしい。
それでも腰を上げたりはしないのだ。成人してなお散々心配をかけているアデリンの、年に一度しか巡ってこない大切な日の話だ。これだけはディルックとガイアのふたりで、納得するまで突き詰めなければならなかった。
「それだけというわけにはいかないだろう。せめてワインの一本くらい」
「アデリンにワインなんて渡してみろ、誕生日の翌日のディナーがうまくなるだけだ。つまり、結局得をするのはアデリンじゃなくおまえってわけだな」
「そんなに羨ましいなら君も食べに来ればいい」
「……第一、ワイナリーで働いてるのに誕生日にワインってどうなんだ? そういう日くらいは関係ないものを贈ってもいいだろ」
空とぼける男の後頭部を横目で睨む。
いつまでものらりくらりと気づかないふりを続けるこの男がラグヴィンド家に帰って来さえするのなら、本当はそれがアデリンにとって一番の贈り物なのだ。何を贈られたときよりも彼女は喜んでくれるだろう。
……と、それをわかっていながら強く言えないディルックも悪い。自覚がある。
あまりしつこすぎて逃げられてしまっては本末転倒だと言い訳をして、ディルックはこの他愛ない時間を毎年ひそかに楽しんでいる。
「……消え物とは、具体的には」
「そりゃ誕生日なんだから、ケーキだろ。予約しておかないとな」
根は真面目な男なので、こんなときのガイアはふざけなくなる。あまりにまっとうなことを言うからディルックはつい、おとうとから見えないのをいいことに薄く苦笑した。
「では……ディナーを彼女の代わりに僕たちで作るというのは? その日の夜は僕らがアデリンをもてなすんだ。食事のあとにケーキと、あまり気取らないプレゼントを渡して」
「……ディルック」
ぐるっと首を巡らせたガイアの瞳の輝きを改めて確認せずとも、続く言葉はすでにわかっている。
「……いいじゃないか! 今年はそれにしよう。決まりだ」
はたして喜色満面のガイアは予想通りの台詞をディルックに告げるのだ。
「ヘイリーたちへの根回しはおまえに頼んだぞ。俺はケーキとプレゼントを用意しておく」
「プレゼントの代金はこちらに回してくれ。僕も半分出す」
「ほお、いいのか? 旦那様の太鼓判をいただくと、俺はどんな高級品を買い漁るかわからんぞ?」
にやっとするガイアへ鼻を鳴らして返した。
「それで構わないと言っている。世話になっている人への贈り物を、君の涼しい懐にだけ任せていられるか」
「……おまえと比べれば誰の財布も軽いだろうよ」
恨めしげに下唇を尖らせ、ガイアは勢いよく顔を戻してしまった。代わりに遠慮なく体を倒し、ディルックの肩にぐいぐいと体重をかけてくる。
去年の反省をわきまえているガイアが、本当に散財するとは思わない。アデリンのために城下町を歩き回り、とびきりの、しかし決して気後れはさせない程度の逸品を見つけだすことだろう。ディルックはそこにただ関わっていたいだけだ。
おとうとの下敷きになりながら、ディルックは改めて深くソファーへ座りなおした。非常に狭苦しく居心地も悪いが、この部屋をディルックが訪れた目的にもっとも近いのもまた、ここなのだ。
ふう、と鼻から息を抜く。
「ガイア、いい加減にしろ。重い」
「それよりディルック、いっそケーキも俺たちで作るのはどうだ? 面白くないか?」
「……ここで作るわけにはいかないぞ。準備するならエンジェルズシェアだな」
うん、と屈託なく返ってくる声は、ディルックが眉間に力を入れつづけるにはあまりにも懐かしく、部屋に馴染みすぎている。