休み休み

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カップが空になっても

 

 

 ディルックは自らについて、忍耐強く気の長い男であると疑いなく信じている。
 そうでなければ、いったいどうしてガイアのような男の駄々を日々あしらえるというのだ。ぺらぺらとよく回る口で相手を言いくるめ煙に巻こうとするガイアに、ディルックだけはやすやすと従ってやるわけにはいかないのだった。
 何しろ少しでもディルックを出し抜いたと見るや、ガイアは非常に腹立たしい表情でにやっと笑うのだ。俺なんかに先を越されておかわいそうな旦那様、いつもいつもあんなに騎士団をこき下ろすくせに、と片目でにやつくあの顔は、思い出すだけではらわたが煮えくりかえる。
 決してガイアの好きになどさせてやらない。
 はあっ、と大袈裟に溜め息をつく男へ、ディルックはそういう決意をもって向き合っていた。
「この石頭め。おまえの頭の中に妥協とか柔軟性って言葉は入ってないのか? ちょっと目を瞑っていてくれたらいいと、そう頼んでいるだけだろ?」
 ガイア相手にラグヴィンド家の客間を用意させるのも惜しく、ホールの談話スペースで向かいあっている。ディルックも家業を正式に引き継いだばかりでそれなりに多忙なのだから、それを知るガイアから場所に対する文句は出ていない。代わりにこれ見よがしな溜め息が幾度も幾度もこぼれている。
 ソファーに深く腰かけるガイアは、溜め息のたびにさらに背もたれへ体を沈めていくようだった。
 見ようによってはディルックの相手に疲弊しているというていだ。しかし他方、ただ盛大にくつろいでいるようでもあり、そしてどうせ後者だとディルックは見ている。ガイアがこの程度で音を上げるわけがなかった。
 紅茶を含みながら半目でじろりとやる。
「なぜ僕がわざわざ騎士団の都合におもねらねばならないんだ? ……いや、騎士団ではないな。君の都合に、だ」
「ほお、言ってくれるな。これまで俺が闇夜のなんとか様にどれだけ便宜を図ってやったかをお忘れのようだ」
「お忘れも何も、その闇夜の何某とやらと僕にいったいどんな関係がある? あいにく冒険小説の類には疎いもので心当たりがないな」
「ああそうだろう。昼夜を問わずお忙しい旦那様は、無邪気な夢を見る暇すらないんだからな」
 表情を殺すディルックへ、対峙するガイアはにっこりと笑ってみせた。上半身を起こして卓上のティーカップを取りあげ、ひと口含んでからソーサーへ戻す。けちのつけようのない仕草だ。
「なあディルック、ちゃんとよく考えてみろよ。何も一生眠っていろというわけじゃない。ほんの一夜だ。ほんのひと晩おまえがぐっする眠ってくれるだけで、宝盗団の新たな密輸ルートが割れるかもしれないんだぞ」
「仮定のために、その日起こる被害を見逃せと君は言っている」
「必要な代償さ。餌のない針で魚は釣れないだろ?」
「モンドを餌に雑魚を釣ると、よくもこの僕の前で口にできたものだな。ガイアさん」
「闇夜の何某とは無関係なんじゃないのかよ……」
「関係ない。今のは僕個人の意見だ」
 ガイアは再びソファーの中に体を埋めこんだ。沈んでいく体の両脇で、降参だとでもいうように小さく手を挙げる。
「……頑固な男なんて今どき流行らないぜ、ディルック」
「自分の能力不足を棚上げして八つ当たりする男が人気だとも聞かないな」
「……どうすればいい?」
 薄目でこちらを窺うガイアを放置して、ディルックはまずゆっくりと紅茶を飲んだ。次に脚を組み替える。膝の上に両手を乗せる。
「どうすれば、だと? ……ガイアさん、僕の要求など最初から一貫している。それもたったひとつだ。……僕を納得させてみろ」
 ぐうっ、と息を呑むガイアの渋面を眺めて飲む紅茶はうまかった。顎を引いて何やらむにゃむにゃ言い訳ばかり口にする義弟の、気まずさと拗ねの入り混じった表情が子どものころとほとんど変わらない。つい目を細めてしまったが、ガイアは気づいていないらしかった。まだ詰めが甘い。
 かつて喧嘩別れしたディルックと秘密裏に通じていることを悟られず、何事もない顔で騎士としても立ち回らねばならない。ガイアが選んだ道は薄氷を踏んで行くようなものだ。爪先の力加減をほんの少しでも誤れば、凍てつく水の底へ沈んでしまう。
 ひとりで溺れさせるつもりなど毛頭ないとはいえ、今のうちにより慎重なやりかたを身につけさせておくに越したことはない、ワイナリーに身を置くディルックと騎士団に残ったガイアと、昔とは状況も、環境も違う。
 同じなのは自分たちがきょうだいであるという事実くらいだ。
「……少し待ってくれ。組みたて直す」
 ディルックをどうにか論破しようと考えこむガイアを急かしはしない。ディルックは気が長いのだ。
「どうぞ、ゆっくり考えてくれ。僕もそのあいだに休憩できる」
「お優しいことで……」
 しかめ面で吐き捨てるおとうとを鼻で笑うディルックは、その裏で同行を条件に宝盗団の偵察を許可するタイミングについて思いを巡らせている。