休み休み

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ご列席心より感謝いたします

 

 

「ずっとガイアさんのお嫁さんになると思ってたのよ」
 と、若い花嫁が茶目っ気たっぷりにウインクする。
 ガイアが花婿とも気心知れた仲だからこそなんとか許される冗談だ。新妻の肩を抱きさすがに苦笑いする知人へ、ガイアもちらっと苦笑を向けた。
「まさかおまえが、じいさんの口癖を真に受けるような素直で無邪気な女の子だったなんてな。……ついさっき教会で風神に永遠の愛を誓ったばかりだろ? 今日ぐらいはそういう冗談はやめておけよ」
「ばかね、逆よ。明日からは言えなくなるから今のうちに言っておくんじゃない」
「おっと、こいつは失礼した。ごちそうさん」
 にこっ、と新郎新婦に笑いかけ、ふたりが持ち上げたグラスへ蒲公英酒をうやうやしくそそぐ。
 今日のガイアは西風騎士団騎兵隊隊長ではなく、貸し切られたエンジェルズシェアの臨時下っ端従業員だった。しかも騎士団で副業が禁止されているために無給ときている。さらにそのうえ、披露宴の客でごったがえす店内は耳が痛くなるほどやかましく、目が回るほど忙しいという状況だが、若いふたりの新たな人生の門出は素直にめでたかった。
 ガイアをずた袋か何かのようにひっ掴んで問答無用でここまで引きずってきた、こんな晴れの日にすら澄まし顔を崩さない男へ溜まりに溜まった不平不満も、まあいいかと思えてくる。
 テーブルを回って空き瓶を回収し、すでに何種類の酒が混ざっているかも知れないグラスを取り替え、汚れた皿を厨房に戻した手で今度はできたての料理を持って行く。ガイアがようやくひと息つけたのはデザートの段になってからだ。ふうう、と息を吐き出しながらカウンターの一番陰の席に尻でずり上がる。
「おい旦那様、さすがに祝い酒の一杯くらいはもらえるんだろう? 喉が渇いて死にそうだぜ」
「アップルサイダーなら冷えたものを出してやる」
「……頼むよディルック。今ばかりはふざける余力もないんだ」
 カウンターに寄りかかってどうにか上体を支えるガイアに、さすがのディルックもなけなしの良心が痛んだらしい。厨房の清掃を中断してシェイカーを引き寄せようとしている。ついにんまりしてしまうガイアを目ざとく見つけたディルックの視線がするどくなった。
「……元気そうじゃないか」
「あのな。ちょっと笑っただけだろ? おまえは笑うだけでそんなにエネルギーを使うのか?」
 ふん、と鼻を鳴らすディルックが白ワインと蒲公英酒を取り出したので嬉しくなってしまう。ディルックの作る午後の死が、ガイアはこの世で一番好きだった。
 シェイカーの中で酒が揺れる甘美な音に耳を澄ませながら、談笑の続くホールを眺める。思い思いに甘いものをつまむ人々の表情はみな優しく、穏やかだ。ついガイアもつられて頬が緩む。
「こういう忙しさは久しぶりだったな。くたくただが、あいつらを見てると悪くない気分だ」
「……結婚はまだ先だと思っていたから、店を貸してほしいと言われたときは少々驚いたな。教会への寄進もうちのレンタル料も、なかなかの出費のはずだが」
「まあ、そのへんはふたりでちゃんと考えてるんだろ」
「わかったような口を利くじゃないか」
 平和な光景を遮るように鼻先に現れたグラスへ両手で飛びつく。尖らせた唇で迎えるように含んだカクテルはうまかった。みっともない、と叱られても気にならないほど、ガイアの乾いた体を心地よい甘さで潤してくれる。
「生き返るぜ……」
「年寄り臭いぞ」
「いいんだ。俺は今夜だけで二十年ぶんは働いたからな」
「日頃の君がどれほど勤勉かがよく知れる台詞だ」
 ディルックの冷めた声も、披露でのぼせた今は逆に落ちつくくらいだ。グラスをちびちびと舐めながら初々しい夫婦のはにかみあう様子を眺めていると、瞼が重くなってくる。
 噛み殺しそこねたあくびとともに、いいなあ、と気の抜けた声が漏れてしまった。
「……結婚がか?」
「いや。俺にはもう家族がいるし、それに十分満足してる」
「なら何がだ」
「うん」
 とろとろと、もうほとんどまどろみながら、ガイアは小さく微笑んだ。
 ワインの香りがして、あたたかな料理の残り香がある。長く使いこまれた木材の手触りが心地よく、人々の笑声はそよ風のようで、そして何よりすぐ側にはディルックが、ガイアの義兄がいてくれる。
 緊張が解ける。気が抜ける。
「他人と他人が出会って、神の前で愛を誓って、家族になる。そうしたい相手がいるのも、それを周りから祝われるrのも、いいことじゃないか。だろ?」
 のんびり笑うガイアを見下ろすディルックは相も変わらず仏頂面だ。すっかり見慣れているので、今更なんとも思わない。ディルックに向けてグラスを掲げると、やはり面白くないというふうに鼻を鳴らされた。
「……君、そんな顔で意外とロマンチストだったんだな」
「顔は関係ないだろ。第一俺みたいな美青年がロマンチストで何がいけないんだ?」
「はっ」
「なんなんだよその反応は……」
 頬杖をついて唇を尖らせる。もう瞼がくっつきかけているので、わざと半目になる必要はなかった。
 ひどい面だったのだろう。ディルックの目尻が微かに緩んだようだ。
「ガイア」
 ホールでは新婦とその友人たちの明るい笑い声が鈴のように鳴り響いていたから、ディルックの囁き声を聞いたのはぼうっと彼を見上げていたディルックだけだろう。うっかりグラスが手の中から抜け落ちるところだった。
 眠気などすっかり吹き飛んできょどきょどするガイアを見下ろし、小癪にもディルックは余裕っぽく口端を吊り上げている。
「風神の前でもう一度言ってやってもいいが?」
「……それよりもう少しタイミングってもんを考えてくれ」
「……ああ。失礼」
 ふん、とディルックは鼻を鳴らした。
「君はロマンチストの美青年だったな。僕の配慮が足りなかったようだ」
「この野郎……」
 とても顔を上げていられなかった。額を押さえてうなだれるのは、酒のせいで頭が痛いからだ。ほかに理由などない。
 絶対にない。