休み休み

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なんじ思うゆえに

 

 

 異国の美しい少年を模した人形が、つまらなそうに風に吹かれている。
 スメールシティのいと高き樹上、知恵の聖処でこんな顔をするのは彼ぐらいのものなのではないだろうか。五百年ほどをこの場所で過ごしてきたナヒーダがそう思うのだから、きっと間違いはない。
 彼は聖処に連なる、意図的に高低差をつけた柱の一本を椅子代わりにしていた。ナヒーダではうんと爪先だっても人形のいる場所へは届かない。
「何が見えているの?」
 声は届く。
 人形は石畳に立つナヒーダを一瞥するといつものように皮肉っぽく唇をめくり上げた。
「驚いたよ。とても知恵の神とは思えないような質問をするじゃないか。ここからの景色だなんて、とうに答えを知っているくせに、なぜてあえて僕に訊くの?」
「教師は生徒に質問することで、彼らの理解度を探るものだわ」
「へえ。そう。いつ君が僕の教師に?」
「あら。あなたはいつから私の生徒になってくれていたの?」
 ちっ、と舌打ちして人形は忌々しげだ。それでもナヒーダの手招きを見逃しはしないし、降りてきてちょうだいと頼めばその通りに柱を降りる。
 人形は虜囚として聖処にあった。
 魔神ブエル、スメールの草神クラクサナリデビを追い落とした座へ新たな神として自らを置かんと企てたのだ。幸い計画はナヒーダ股肱の賢者によって危ういところでくじかれ、そして彼はここにいる。
 鎖で繋いでいるわけでもない。かつてのナヒーダのように幽閉されているわけでもない。それでも、彼はいつでもここにいた。
「当然じゃないか。僕にはもう目指す場所も行きたい場所もないんだ。どこにも行けないなら、ここにいるほかないよ」
 そううそぶく人形は、果てしなく広がる青空から目を離さない。彼の隣でナヒーダだけがそれを見つめている。
「あなたの罪に応じた罰を与えなければならないのよね」
「もちろん知ってるさ。で、それはいつ? 神殺しを夢想した愚者にふさわしい末路はひとつのはずだよね」
 せせら笑いを浴びるまま、ナヒーダはふと眉を寄せる。
「私は命を傷つけるのは嫌いだわ」
「命!」
 ナヒーダのつぶやきは本心からのものだった。だが眼前で喜劇の見せ場が最高潮を迎えたように、人形の甲高い笑声はひときわ強くなる。
「命だって? まさか僕にもそれが宿っているとでも? クラクサナリデビ」
「それは……」
 ナヒーダには五百年ほど、知識を組み立て繋ぎ合わせるしかできない時間があった。時をかけて蓄えた知識は無論、問いに答えるためにある。
 ほぼ反射で動いた唇は、草神のもつ知恵から検索した、人形にとってもっとも適した解答を吐き出そうとしたはずだ。そしてそれをナヒーダは自分自身の意思の力で抑えこむ。指先で口を塞ぎ、軽く舌を噛んだ。
「それは……私が答えるべき問いではないわね」
「……知恵の神ともあろう者が、壊れた人形からの質問ひとつ答えられないの?」
「そうよ」
 ナヒーダがぺたぺたと石畳を歩くと、人形も隣についてくる。スラサタンナの内部、彼にとっては牢獄でしかない場所を、厭う様子はなかった。
「散兵」
 それはつい最近まで彼を表す音だったはずだ。
 なに、と、明らかに低くなった声を振り仰ぎ、ナヒーダはそっと目を細める。
「あなたは私に何かを尋ねるより先に、まずあなた自身からの問いに答えなければいけないわ。自分は何者であるのか、という」
 人形はナヒーダを見下ろすふりで顎を引いた。眉を寄せた顔によりくっきり浮かぶのは、不快感ではなく困惑だ。
 彼は戸惑っている。そうさせるものが、すでに彼の中に芽吹いているのだ。ナヒーダは知恵と緑の神としてその萌芽を見守っている。このまま枯れるか、踏みにじられるかも、すべて彼次第だ。
「訊かれるまでもなく、僕は悪人だ」
「ええ、そうね」
 ナヒーダは隣を歩く人形の、揺れる双眸を覗きこむ。歩幅が随分異なるはずだが、彼はこうしてふたりで歩くときにはいつもナヒーダの横にいた。
「あなたを悪人だと判ずるあなたは、いったいなんなのだと思う?」
 人形のように美しい異国の少年は、苦渋を飲み下すような顔で、ナヒーダの質問を無視した。