休み休み

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腹ぺこで帰っておいで

 

 

「お忙しいところ大変申し訳ありません、旦那様。ご相談したいことがあるのです」
 昼と夕ぎれのちょうど合間の時間だ。いつも仕事がもっとも少ないこの時間を見計らって来たに違いないメイド長の、あからさまにかしこまった挨拶を、ディルックは執務机から苦笑で受けた。
「君がそこまで急を要すると言うのなら、僕も姿勢を正して傾聴せざるをえないな。いったい何があったんだい? アデリン」
「はい、それが……」
 アデリンは深刻そうに眉をひそめて片頬に手を添える。ふう、と彼女の漏らした吐息もまた、表情と同じく重苦しかった。
「実は、夕食を作りすぎてしまいそうなのです……」
「うん。……うん?」
 ディルックがまだほんの幼いころからラグヴィンドの家に尽くしてくれている人だ。ディルックの困惑を汲みとれないわけがないのに、アデリンはまったく気づかないふりで暗い顔を続ける。
「仕込む肉の量を間違えてしまって……保存すると風味が落ちてしまいますからすべて本日のディナーで使いきってしまいたいのですが、旦那様、メインを普段の倍量お出ししてもよろしいでしょうか」
 あくまで真顔のアデリンへ、ディルックは首を傾げて微笑んでみせた。
「僕はそれでも問題ない。……なんなら余剰は君たちの夕食にしてくれても構わないよ」
「そんなわけにはいきません! 従者が主人と同じものを頂くなんて。それに、食べすぎては旦那様のお体が……」
「倍出すがいいか、と先に言ったのは君じゃなかったかな?」
「……そうです」
 ふ、と鼻から息を抜く。アデリンはようやく澄まし顔をやめ、すまなそうに眉を下げた。
 彼女の思惑がわからない、とは、さすがに言ってやれない。
「ガイアをディナーに誘いに行けということかい?」
 先日、とあることをきっかけに、この家でモンドの栄誉騎士を交えてガイアとともに夕食をとったのだった。どうもあの一件に味をしめたアデリンは、虎視眈々と再びガイアを呼び寄せるタイミングを見計らっていたようだ。ラグヴィンド家の養子、人見知りしない活発で無邪気な末っ子を、彼女はことのほかかわいがっていた。
「ガイアにだって仕事や付きあいがあるだろう。確かに君の作ってくれる夕食は魅力的だが、急に呼びつけるより前もって予定を合わせるほうが互いのためじゃないかな」
「あら……先日の旦那様は、旅人さんとガイア様のご予定を把握なさった上でディナーのお誘いを?」
 む、と黙りこむディルックへ、アデリンはくすくすと楽しそうに笑った。
「申し訳ありません。戯れをいたしました」
「まったくだ」
 ふふふ、と笑うアデリンを見ているとなんとなく椅子の座り心地が悪くなる。意見としてはディルックが正しいはずなのに、それよりも彼女の願いを叶えるほうがより重要であるような気分になってくるのだ。
 机に残っている書類をざっと検めながら溜め息をつく。
「僕が誘ってもあいつは来ないよ」
 にこっと笑ってそれらしい言い訳を口にしてさっとモンドの人ごみに紛れてしまうだろう。
 想像はあまりにもたやすい。ガイアは昔のように家族としてもてなしてくれるアデリンに及び腰だし、ディルックを義兄として見ることにもまだ怯えている。勝手に気まずがるのは結構だが、アデリンに何かとせっつかれるディルックの身にもなってほしかった。
「そんなことはありませんわ」
 アデリンが机の前に立っている。働き者の指はディルックが脇に寄せた書類の端を丁寧に揃え、保管用のケースへそっと滑りこませた。
「ガイア様は旦那様からのお願いを、きっと何より楽しみにしてらっしゃいます。そういう方ですもの」
 そう、と返事をして肩を竦める。苦笑しながら見上げた人は優しい微笑みを絶やさなかった。
「どうやら君は僕より彼に詳しいらしい」
「まあ……」
 アデリンはまたふふっと笑った。
「ディルック様、ご冗談はおやめください。ガイア様が当家でどなたを一番頼りになさっていたか、ご存知でしょう?」
「父さんだろう」
「ディルック様」
 優しくたしなめる声は、ディルックに答えを教えてはくれなかった。代わりに続けるのは喫緊の案件についてだ。
「お早くお出かけのご準備をなさってくださいませね。旦那様とガイア様がお戻りになったらすぐお召し上がりいただけるよう、調理に取りかかりますから」
「僕はまだ、ガイアに会いに行くとは一言も言っていないけれど」
「はい」
 アデリンはディルックへにっこり笑いかけた。
「これからおっしゃっていただけるものと信じておりますわ」
 昔から、この人が一番強い。
 ふっと苦笑したディルックには、アデリンにコートを取ってくるよう言いつけるほかできることなどなかった。