ディルックときたら本当にお堅くてつまらない。きっとモンドを離れてひとりで旅をしていた時期に、鋼鉄製の定規でも丸呑みしたに違いなかった。
「……おまえさ、毎日そんな仏頂面で、生きてて楽しいか?」
ガイアとしては珍しく、心からこの義兄を案じているのだ。
日当たりのいいホール窓辺の一席で、こつんこつんとチェスの駒を交互に動かしている。盤面を見つめるディルックの眉間には、やはり今も皺が深い。ワイナリーまでちょっと書類と近況報告を届けに来ただけのガイアを、気晴らしに付きあえと引き留めたのは向こうであるにも関わらずだ。
別にガイアとてディルックの破顔一笑を拝みたいわけではないが、それでも、気晴らしというのならもう少しくらいは穏やかな面をしてみせたらどうなのだとは思う。ガイアまでつられて眉をひそめてしまうではないか。
「僕にはなさねばならないことがある。生きる理由ならそれで十分だ」
「俺は楽しいかって訊いたんだぜ? 旦那様」
ディルックとチェス勝負をするとき、それが遊びだろうが本気だろうがガイアはいつも白駒だ。たまに勝ち、たまに負け、だいたいは引き分ける。
頭の体操は好きなので、この時間はガイアにとってもいい気分転換にはなる。なるのだが、テーブルの向こうで対戦相手がむすっと俯きつづけているのはやはり少々いただけなかった。盤面はディルック有利で進んでいるのだから、せめて眉間の皺の一本くらいは減らしてもらいたい。
ガイアが進めた駒の進路上に黒の戦車がある。それをかるがると飛び越えて敵陣へ斬りこんだ白い騎士は場を荒らす囮だ。この騎士は初めから王を倒すつもりがない。
ガイアの手を見てディルックは小さく鼻を鳴らした。
「君らしい姑息な手だ」
「俺らしい素直でわかりやすい手だろう?」
にっこり笑うかわいらしいおとうとをすっかり無視したディルックが、盤上の駒の位置を白黒ともに確認している。
もとよりガイアはディルックが囮に気づくことを信じてポーンを動かしており、この先の手もいくつか考えてある。こういう指しかたができるので、たとえ相手が常にぶすくれていようが、ディルックとのチェスは楽しいのだ。
「まったく、自由の城とは笑わせてくれるよなあ」
ディルックが一瞬だけ目を上げた。言葉の通りにへらへらしているガイアを確かめると、すぐに再び盤上へ俯く。
「騎士団の代理団長はコーヒーをがぶ飲みしながら残業漬け、騎兵隊長も肝心の馬と部下を団長に持っていかれて事務ばかり、ついでにモンド随一のワイナリーオーナーだって昼夜問わず働き詰めの仕事中毒だ。遊びの最中にも顰めっ面ときた」
「……自由と奔放は違う。僕は責任を果たしているに過ぎないし、ふさわしい対価も得ている」
「本当かよ……」
ガイアの見るディルックは、とても等価交換を成立させているとは思えない。昨夜も「闇夜の英雄」様はアビス教団の拠点をひとつ丸ごと潰し、わざわざご親切に証拠を騎士団本部へ放り投げてくれているのだ。ガイアが今日わざわざワイナリーまでやって来たのも、その件の事後報告のためだった。
「ガイア」
「……うん?」
次はガイアが駒を動かす番だった。さあどうぞお取りくださいと進めたポーンをディルックが一瞥もしなかったので、少し困っている。無視されるなら欲目を出したくなるが、どうせそれも見越されている。かといってあまりに予想通りの展開すぎてもつまらない。
有利な状況であっても、何かひとついたずらを仕掛けたくなるのがガイアの癖だ。おそらく目の前の男に言わせると悪癖ということにされる。
呼称がどちらにせよゲームのおもしろさを求めて悩んでいるところへ、ディルックの淡々とした声が割りこんでくる。
「僕にそう言うからには、君はさぞ日々を愉快に過ごしているんだろうな」
「そりゃあもちろん、当たり前だろう。気のいい仲間と面倒臭い堅物おにいさまに囲まれて、俺は毎日楽しくて楽しくてしょうがないぜ」
口調と合わせたふざけた手つきで駒を動かした。盤にこつんと置いたとき、ふん、と鼻を鳴らす気配を聞く。
「結構」
次のディルックの手は非常に早かった。迷わず、容赦なく、忌々しいほど優雅に、うまく隠していた黒いポーンをガイアの王の眼前へ置く。
「チェックメイト。……ガイアさん、囮とはこうして使うものだ」
涼しい顔でメイドに新たな紅茶を言いつける義兄の横顔へ、今度はガイアが思いきり顔をしかめる番だった。