休み休み

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秋重ね

 

 

「小黑。座りなさい」
 赤や黄の葉がほろりほろりと降り積もる露台は天上の湖へ大きく張り出している。関係者からは単に館、とだけ呼ばわれる妖精の桃源郷は世界各地に点在しており、そのどれもがそれぞれに美しい。妖精たちの駆け込み寺は共通して非常に自然豊かだ。
 その美しい景観に目もくれず、无限は膨れっ面でよそを向く子どもを胡坐のまま見据えている。
「小黑」
 ……小黑が、館で出会った妖精に、術を用いて乱暴を働いた。
 幸い周囲の妖精や駆けつけた无限の制止で大事にはならなかったものの、相手の妖精を傷つけてしまったのだ。
 かすり傷程度とはいえ、小黑の明確な害意でもってつけられた傷だ。冷静さを保とうと努めてはいても実のところ无限も動揺している。
 小黑は確かに勝気だが、道理を知る子だ。無闇に自分よりも弱い相手をいたぶることはない。これまで一度もそんなことはなかったし、これからもそうだと思いこんでいた。
「……小黑。自分で座るか、私に座らされるか、どちらがいい」
「……これでいいでしょっ」
 手首の鉄片を見せつけるように掲げてようやく小黑に効果があった。どしんと露台に尻をついて、けれどやはり不機嫌顔は館の外を見ている。
「ぼく、捕まるの」
「いいや。だが、半年ほどこの館への立ち入りは禁じられる」
「別にいいよ。こんな所、ぼく嫌いだ」
「小黑」
 无限は、小黑に館という場所を気に入ってほしかった。妖精にとって館は重要な施設だ。龍遊で初めて訪れた時は若水に連れられて楽しそうにしていたのに、この館はいやだと言う。
「何があった?」
 問う无限にも、かたくなな沈黙を守る小黑にも、ほろほろと錦秋のかけらが降りそそぐ。
「おまえは理由なく他人を傷つけたりしないだろう。妖精が自由に過ごせる場所を無闇に嫌ったりもしない」
 小黑の横顔からつんと覗く小さな鼻が赤いようだ。唇がわなないてまるい頬も震えている。
「小黑」
 无限の嘆息で、幼くまるい輪郭の肩がびくりと跳ねた。
「私はそう信じているんだよ」
 ずびっ、と子どもの鼻が鳴って、次の瞬間には无限の懐に小黑の体があった。
「し……師匠は、危なくなんか、ない!」
 鳴き声を聞いてそっと息を詰める。胸底に湧く納得と諦念を押さえつけることには慣れきっていても、小黑の暴走の理由を垣間見てさざなみ立つ感情の名は知らない。
「あいつ、師匠のことなんにも、なんにも知らないくせに、勝手なことばっか言うんだ! 師匠のこと馬鹿にして、や、やなことばっかり」
「そうか」
「それで、それで頭に来て、ぼく、それで!」
「そうか。嫌な思いをさせたな。すまない」
 自分が妖精に疎んじられていることをもちろん理解している。
 面と向かって謗られる機会こそほとんどないが、こういう場所では腫れ物扱いされるのが常だ。これまで无限ひとりに向かっていたものが、幼く頼りない見た目の弟子にまで降りかかる可能性も考えておくべきだった。泣きじゃくる小黑の背を撫で撫で目を伏せる。
「し、師匠が、謝んないでよ。いけないの、ぼくじゃん」
「では、おまえは何を私に謝る?」
「信じるよって、言ってもらったのに、それをだめにしちゃったこと……」
「うん」
 ぐすんぐすんやりながらの懸命な呟きは无限を安堵させた。やはり小黑は无限が信じる通りの子だ。
「師匠」
「うん?」
「ぼく、強くなりたい……」
「ああ」
「師匠と同じぐらい強くなる。そしたら変な話されるの、師匠だけじゃなくなるよね?」
 泣き腫らした目だ。濡れた頬だ。汚れた鼻だ。
 ほんの子どもの妖精だ。
 小黑だ。
「……おまえは強くなるよ、小黑」
 はらはらと秋が降りそそぐ、妖精の郷の美しい露台で、无限はそう呟くのが精一杯だ。
 もしも再びこの地を訪れる機会があれば、きっとそのとき妖精たちの口端に上る名は无限だけではなくなっている。