ぱんぱんに張り詰めてくろぐろとした果皮は、包丁を軽く当てるだけでみずみずしい音とともに勝手に割れた。現れた赤い果肉を覗きこんだ小黑が上げた歓声は、清流がさらっていつか海へたどり着くだろう。
「師匠! こっち側全部、全部ぼくのだからね!」
緑陰のもと、小黑は自分の顔よりも大きな半割りのスイカへしっかとしがみついた。今にも齧りつきそうなくせ、ぎりぎりのところで无限の返事を待つその律儀さについ笑みがこぼれる。育ち盛りの証左か、盛夏であっても小黑の食欲は衰えをみせることがない。
「腹を壊すぞ」
「平気だよこれっぽっち。ね、いいでしょ師匠、ねえねえねえねえ」
「……わかったから。せめてスプーンは使いなさい。できるだろう?」
「うん!」
口をきゅっとすぼめて目を細める、機嫌のいい猫そのものの顔で笑う子を見ながら手元のスイカにもう一度刃を入れる。ぱかりと割れたひと切れに齧りつけば水気とともに夏の味が口内ではじけた。
咀嚼しながら仰向いてみる。河辺で大樹に背を預けているから无限たちの周囲は快適だが、梢の隙間から覗く空は青くぎらぎらと燃えている。木漏れ日はもはや光線となって容赦なく青葉を貫かんとしていた。
「……見るだけで暑いな」
「師匠」
「ん?」
懸命にスプーンを繰ってスイカを頬張る小黑に呼ばれて振り返る。顔の周りはすっかり果汁まみれで、白い髪もほんのり桃色に染まって頬に貼りついている。無意味だと理解していてなお手を伸ばさずにいられない惨状だった。
「どこに口があるのかわからないな」
「ねえ、師匠は春と夏と秋と冬、どれが好き?」
果汁をぬぐってやる无限の指の下から、じっとしていられない弟子の問いがやってくる。きょとんと瞬く无限を見つめるまるい目に夏の陽射しが踊っていた。
「突然だな」
「うん。急に気になったんだ。ちなみにぼくは夏が好き」
「そうか」
それは小黑らしい、と思った。生気に満ち満ちる今の季節は、この子にまったくふさわしい。
「ぼく師匠のこと結構知ってるのに、師匠の好きなものって全然知らない」
ふと笑ってしまった。
无限が小黑とともに旅をするようになってからまだ一年にも満たない。それでも无限を知っていると力むことなく言いきるのは、小黑なりに无限のことを注意深く観察しているからなのだろう。この小さな妖精の小さな胸のいくらかを无限に関する知識が占めているという推察は、季節とは無関係に全身をあたためた。
「春が好きだよ」
そう言ってスイカをひと口齧った。小黑の猫耳がぴょんと立ち、くるんと動く。へええ、と気の抜けた声を出す口元をまた果汁が濡らしていた。
「そうなんだ。あったかいから?」
「夏も好きだ」
「……んん?」
もうひと口スイカを食べる。川に向かって種を吐き出した。
「秋も、冬も」
「ええー? それずるくない? 師匠」
「一番を選べとは訊かれていない」
「そうだけどさ」
不服そうに唇を尖らせた小黑の口元をもう一度ぬぐう。上着も汁でべたついて、これはもうどうしようもないかもしれない。
「小黑、食べ終わったら川で体を洗おう」
「泳いでいい?」
「……本当に腹を壊すぞ」
ほどほどに、と付け足して頭を撫でる无限を予測していたかのように擦り寄ってくる子どもには苦笑するしかない。无限のことを知っているというのもあながち過言ではないのかもしれなかった。
小黑の白髪を輝かせる陽射しに目を細める。
いつかこの夏の日を、いずれ小黑と迎える秋冬を、春を、かけがえなく好ましいものとして思い返す瞬間があるのだろう。
そんな未来が約されていると思えば、好きな季節をたったひとつに絞るような惜しいまねをできるはずがないのだった。