休み休み

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冬がぬくもる

 

 

 花吹雪も、白く灼ける陽光も、地を覆い尽くすほどの色あざやかな落葉も過ぎ、今や世界は白一色だ。はあっと小黑がこぼす吐息すらまろやかに白い。
「人間って変なの。寒いんだから冬は家の中でじっとしてればいいのにさ、冬眠もしないなんて」
「寒いのか? 小黑」
「ぼく? ぜんっぜん!」
 无限は小黑の矛盾をたしなめなかった。ただ微笑み、淹れたての青茶で満ちた茶杯を小黑へ持たせてくれる。立ちのぼる香気は、この銀世界においてあまりに儚い。
 こぢんまりした邸の廊子にふたりで身を寄せあって眺める庭は、猫の姿の小黑ならひと呼吸で駆け抜けられる狭さだ。どっさり積もった雪から庭石の先端がちょこちょこっと飛び出している。无限の横で、温かい茶を飲みながら眺めていると、こんな面白みのない光景でも小黑はまったく気にならなかった。
「師匠、お茶はそこそこのが淹れられるのにね」
 半目になって横を向く師がこしらえる料理ときたら、とにかくひどいのだ。とてもじゃないがかなり気合を入れないと完食できない。繰り返すが、とにかく、ひどいのだ。
 まだ師弟の契りも交わさずにただ妖精館を目指していたころ、どうして下手なのに料理したがるのだと訊いたことがある。无限はちょっと不満げにして、それでも当然のように言ったのだ。
「子どもはまず食べて大きくなるものだ」
 それ以来小黑は、无限の作った料理を食べる前に必ず気合いを入れて臨むようにしている。まずいものはまずいので最初のひと口を吐く癖はなかなか直らないが、どうせそれば无限も同じだ。叱られたりしない。
「早くまた師匠と野宿したいな。師匠のまっずい串焼き食べて、毛布にくるまって地面で寝るんだ」
 雪の中にいると僅か数ヶ月前が嘘のように思えてくる。草の香りのなか、空を示す无限の指を追いかけて正座を結ぶことも、眠るまでの短い時間ぽつぽつ交わすお喋りも、冬のあいだはお預けだ。
「……旅が好きだったのか?」
「ううん」
 旅自体は好きでも嫌いでもない。小黑はそもそも、自分の居場所さえ見つかればずっとそこで過ごしていたいたちだ。
 はやばやと熱を失いつつある茶を啜り、廊子から庭へ向けて足をぶらぶらやりながら、小黑はなるべく无限を見ないように顔の向きを調節する。
「旅は別に、普通。でも師匠がぼくの知らないことたくさん教えてくれるからさ……」
 旅する土地ごとに必ず新たな発見がある。小黑が連発するなんでどうしてを、无限はひとつも取りこぼさず一緒に歩いてくれた。
 小黑の居場所は无限だ。だから、无限さえ傍にいてくれるなら小黑は別に豪華なホテルも屋根のある家もいらない。
 どこへ行っても大丈夫なのだという安心を无限はくれる。その居心地の良さをどこより強く感じるのが、地面の上で眠る夜なのだ。
「……そうか」
 わっしわっしと小黑の髪をかき混ぜる手は大きい。優しい声を白い吐息とともにこぼした口元は、きっとほんのり笑っている。
「茶を飲んだら散歩に行こう。小黑」
 離れていく手の向こうから現れた无限の顔は、やはり穏やかだった。
「こんなに雪が積もってるのに散歩?」
「そう。雪原を歩くにも技術がいる」
 知らない。目をまるくして无限を仰ぐ。
「凍りついて水晶のようになる森がある。冬だけ、雲が滝のように流れ落ちていく山がある」
 知らない。无限は目を細めて笑っている。
「冬に咲く花がいくつあるか、小黑は知っているか?」
「知らない!」
「では探しに行こう」
 うん、と頷いて茶杯を傾けた。自分自身を待ちきれない足がじたばたするのを、笑って无限が見守っている。
 春も、夏も、秋も、小黑はたくさんのことを无限から教わった。
 この冬だって、きっと物足りなさを感じる暇がないくらい楽しいことが、小黑たちに見つけだされるのを待っているのだ。